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【サマーバカンス特集】中世の北欧を謳歌したハンザ同盟はいま/スカンジナビア4

Writer:栗田 亘 Photo:栗田 亘

ハンザ同盟の商館は13〜16世紀に栄えた

スカンジナビア4本文用.jpg▲木造三階建の商館をハンザ同盟の商人たちがビジネスの拠点として使っていた 現在は世界遺産に指定されて往年の面影を残している 木造建築は想像以上に維持と修復の経費がかかる

 ベルゲンは首都オスロ(人口63万)に次ぐノルウェー王国で2番目、人口28万の都市だ。

 オスロの街は、外海から100キロも入ったフィヨルドの奥に位置する。ベルゲンもフィヨルドの奥だけれど、対照的に易々と外海=北海に出られる。

 ノルウェー人の祖先であるヴァイキングたちは、自ら造った帆船を自在に操り、北海を自分たちの庭のようにして海外と交易していた。彼らの航海技術は、一説に、コロンブスよりも前に北米に達していたといわれるほど高かった。

 そうした伝統を受け継ぎ、ベルゲンは現在もノルウェー最大の港湾都市なのである。貨物船だけでなく大型のクルーズ客船も年に200隻以上が寄港するという。

 港に面して、世界遺産に登録されたブリッゲン地区がある。

 木造3階建ての、なかなか風情ある建物が何棟も並んでいる。もともとは13~16世紀に繁栄した「ハンザ同盟」の商館だった。

 繰り返し火事に遭ったが、そのたびにオリジナルに即して復元され、今日に到っている。  屋根や外壁、柱まで木造だから、海風を受けて傷みも目立つ。見てわかるほど傾いている建物もある。3、4カ所では、建物全体をシートで覆って全面修復中だった。

 現在は、表通りのものはレストラン、ギフトショップに、裏手の家は地元アーティストの工房などとして使われている。ある日のランチを、2階にあるこうしたレストランのひとつで食べた。ぎしぎし鳴る階段を上がる。店内の床も気持ち傾斜していて、席によっては椅子に座っても足を気持ち踏ん張っていないとずれ動きそうな感じになった。

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 ハンザ同盟という言葉には、どこかでほのかに聴いた響きがある。たぶん高校の世界史の授業だろう。しかし、あらためて意味を問われると、ボクはほとんど答えられない。

 試みに『広辞苑』を引く。

〈13世紀から近世初期にかけて、海上交通の安全保障、共同防護、商権拡張などを目的として、北ドイツ、特に北海・バルト海沿岸のドイツ人諸都市が結成した有力な都市同盟。16世紀以降次第に衰え、17世紀後半に消滅〉などと記されている。

 試みにいま使われている高校教科書を調べてみた。記述はせいぜい数行。『広辞苑』と大同小異だ。ボクの貧しい脳細胞が積極的に記憶しなかったのも無理はない。

 ハンザとは、「商人の仲間」の意と、これも『広辞苑』にある。別の本には「共同体、組合」などを意味する、と記す。現代でも使われる。

 代表例はルフトハンザドイツ航空だ。北ドイツで電話帳を繰ると、ハンザを冠した銀行やデパートなどがいくつも見つかるそうだ。

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 ヨーロッパでは11、12世紀になると現在ある都市の原型が形成され始め、農業技術の進歩や人口の増加が加わって、商業活動が盛んになっていった。食料品や毛織物、木材といったさまざまな生活必需品が各都市間で売買された。

 中世の時代は盗賊や海賊がたくさんいて治安が悪かった。商人たちにとって何より重要なのは身の安全の確保。そして自由に商売できる権利を得ることだった。

 こうした共通の利益を獲得するために商人同士が結束し、やがて都市を支配する封建領主から独立した都市同盟へと発展していく。都市間の経済共同体が「ハンザ同盟」だった(『ハンザの興亡』入江和夫ら著、日経BP社から)。

 ハンザ同盟は、北ドイツ以外にも、商館を置いた。ブルージュ(ベルギー)、ロンドン、キングズ・リン(英国)、ノヴゴルド(ロシア)、そしてベルゲンなどだ。

 ノルウェー北部は鱈の産地である。干した鱈は、ヨーロッパの人びとに保存食として人気があった。ハンザの商人たちは干した鱈や鱈の肝臓から採った肝油を買い付け、北ドイツや英国に運んだ。英国からは穀物、塩、羊毛や毛織物が、ドイツからはライ麦やビール、ワインが持ち込まれた。

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 ヴァイキングの末裔の航海者だったノルウェーの人たちは、なぜハンザ同盟の進出を許したのだろう。

1、農耕地の乏しいノルウェーは、穀物を海外に頼らざるを得なかった。

2、多数の商船を建造できる資本力も劣っていた。

3、ハンザ商人たちがビジネスに不可欠な帳簿の知識を持っていたことも有利に働いた。

 帳簿の知識! 現代でいえば、ITで商品を管理し、ネットで広域での売り買い情報を得られるかどうか、といったところだろうか。

 ハンザ商人たちは1280年にはベルゲンでの居住が正式に認められた。1360年頃には居住区でのハンザ商人の数は1千人から季節によっては2千人。当時ベルゲンの人口は7千人だったから、相当な人数だ。

 彼らは居住区内では自治権を持っていたが、居住区外ではノルウェーの法律が適用された。ハンザ商人たちは通商上の特権を持っていた。けれども土地所有は認められず、地元の住人との交流や妻帯することも許されなかった。  商館の住人は男だけで、単身赴任者か独身者だった。

 商館では大番頭、小番頭、見習いの3階級に分かれ、見習いは15歳前後にベルゲンに来て6年奉公すると小番頭への昇級試験を受けられた。一つの商館に6~10数人が住み、商館は全部で70超あった。

 近代国家の成立とともにハンザ同盟は力を失っていく。1754年にはドイツ商館は解散し、ノルウェー人の貿易事務所が引き継いだ。

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 ボクと連れ合いは、自由行動となった夕方、港の市場のレストランで、鮭のグリルなどなかなか美味な夕食をとった。ベルゲン特産ビール「ハンザ」のラベルには、左半分にドイツを象徴する鷲、右半分にはノルウェーの鱈をあしらった紋章が描かれている。

 ホテルの夜ふけ、窓の外からギャーギャーというわめき声が聞こえた。同じツアーの仲間から「犬のけんか」「ヒトの夫婦げんか」、はては「子供の虐待」などいくつかの推測が出されたが、真相は港を飛び回るカモメの鳴き声のようだった。

ベルゲンの景色.jpg▲︎ベルゲンの街を囲む山のひとつ"フロイエン山"から見下ろす フィヨルドを船が行き交う

スカンジナビアその3地図.jpg▲ノルウェーの産業:ノルウェーは石油・天然ガスを生産(合計:年産約14億4500万バレル、2016年)し、欧州諸国に輸出し、GDPの約15%をエネルギー産業が占めている。水産業はGDPの約2%だが、水産物輸出は石油・ガスに次ぐ品目である。主要輸出国は英国、ドイツ、オランダ。(外務省のデータから)

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