カペラ・ロータリークーペ「LA〜NY往復ドライブ」の思い出

1970年、岡崎宏司さんはロサンゼルス〜ニューヨーク間をマツダ・カペラ・ロータリークーペで往復ドライブした。目的はロータリーエンジンの耐久性と信頼性を確認・アピールすることにあった。創業100周年を迎えたマツダの歴史を語るうえで、ロータリーエンジンに関する話題は特筆すべき事項だ。

往復1万kmをノントラブルで快適に完走

former_0312l.jpg▲1stカペラは企画段階からロータリーエンジン搭載を想定した新世代モデルとして1970年5月に登場 ボディタイプは写真のクーペとセダンの2種 カペラから北米輸出が本格スタートした

 1970年初夏。ボクは1stカペラ・ロータリークーペでLA〜NYを旅した。往復で約1万kmのロングツーリングである。

 マツダ(当時は東洋工業)から依頼された企画で、相棒はマツダの若手実験部員。主力マーケットに位置づけた、北米市場とカペラのいろいろな意味での相性をチェックするのが旅の目的だった。

 実はこの前に、ファミリア・ロータリークーペで「世界を10万km走る!」という壮大なプロジェクトが持ち込まれていた。「エンジンを封印して10万km走り、ロータリーの耐久性/信頼性を証明する」のが目的。ボクは喜んで引き受けた。というより、有頂天だった。

 ところが、当時、10万kmチャレンジで訪れる予定になっていたオーストラリアは、日本と大きな通商摩擦を抱えており、両国関係は緊張状態だった。なので「要らぬ刺激はしないほうがいい」という判断で企画は中止に。ボクの生涯で「最も輝かしい足跡〟になるはずだったチャレンジは、こうして消えてしまった。

 カペラでのLA〜NYももちろん喜んで受けたが、10分の1のスケールには少々ガッカリした。  この企画にはまったく「しばり」はなく、ボクと相棒の実験部員にすべてが任せられた。

capella_1970_05_ex_0402CMYK.jpg▲写真は当時の上級グレードだったクーペGS 寸法・重量:全長×全幅×全高4150×1580×1395mm 車重960kg サスペンションはフロントがストラット/リアは4リンク 新車時価格:84万5000円

 で、ふたりで決めたのが、「往路は日常ペースで走り、多くの道、多くの街との相性をチェックする」。「復路はできるだけハイアベレージを維持し、NY〜LAをノンストップで走る」だった。

 往路はできるだけ一般道を走った。ルート66もかなり走った。フリーウェイの開通で寂れ、あるいは廃墟になった町も多く見た。

 アリゾナではデザートエリアの中にまで踏み入り、灼熱の太陽の下、スタックから抜け出すのに数時間かかったりもした。

 ラスベガスは「しっかり調査しないとね!」と2泊。昼はプールサイドで、夜はカジノとショーを楽しんだ。そんなドライブスタイルで、NYに着くまで7日かかったが、実に楽しい旅だった。

70クーペインパネ.jpg▲クーペGSの室内 ステアリングはウッド調リムの3本スポーク形状 8トラック式カーオーディオ標準 レッドゾーンは7000rpm以上

 復路は「食事と給油以外はノンストップ」と決め、基本的にフリーウェイ、ハイウェイを走った。スピード違反で捕まっても、イエローカード(罰金)で済む範囲 (20~25mph超過以内)の80~90mph(128〜144km/h)をメドに走った。

 朝夕の都市圏では、どんなルートを走っても混雑は避けられず、平均速度は削られた。それでも、ざっと5000㎞を60時間ほどで走ったと記憶している。平均速度は80km/hプラス。まあ悪くない。

 カペラ・ロータリークーペは些細なトラブルひとつなく、全行程を走り切った。ロータリーエンジンの素晴らしさを実感した旅だった。それだけに、ファミリア・ロータリーでの10万kmチャレンジの中止が、よけい残念でならなかった。

ロータリーimage.jpg▲1stカペラ用のロータリーエンジンは新開発12A型ユニット(573cc×2ローター) 120ps/6500rpm 16.5kgm/3500rpmのハイスペック 最高速度は190km/hを達成 動力性能はクラストップ トランスミッションは当初4速MTのみ 後に3速ATと5速MTが追加された

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