ガンバレNISSAN!! サーキットで速さを実証した「赤バッジ」 GT-R栄光の系譜 その1

GT-Rヒストリー01

SP0106-0138.jpg1st・GTーRは1970年5月のJAF・GPを皮切りにレースで大活躍 公認レース通算52勝の金字塔を樹立する 「負けるとニュースになる」といわれた

1964年5月、鈴鹿サーキット。1台の荒武者が伝説を樹立

 1964年の第2回日本GPは、いまなお語り継がれる伝説を生んだ。ポルシェ904対スカイラインGTの戦いだ。ポルシェ904は、当時、 GT―Ⅱクラス世界最強のマシン。対するスカイラインGTは、ファミリーセダン、スカイライン1500のホイールベースを強引に伸ばし、グロリア用の2リッター直6エンジンを積んだ即席GTだった。それでも、たった1周だけだったが、生沢徹選手のスカイラインGTが式場荘吉選手の904をリードした。

 ボクはその現場にいたが、鈴鹿サーキット全体が揺れ動くかのような、すさまじい興奮と歓声に包まれた。スカイラインGTはヒーローになり、市販車(とくに赤バッジのGT-B)はいまに続くGT-R栄光の物語の原点になっている。

64日本GP01.jpgGTーRの原点は1964年の第2回日本GPでポルシェ904と戦ったスカイラインGT(S54) 1周だけだがトップに立つ ここからスカイラインの伝説が始まる

1st・GT-RはレーシングプロトR380用エンジンを搭載

 1st・GTーRは1969年、GT-Bの後継車として生まれた。GT-Rは設計も開発もプリンス(1966年に日産自動車と合併)によって行われた。車名は日産スカイラインGTーRを名乗ることになる。

 GTーRは、4ドア・スカイライン(PGC10)にS20型(2リッター直6DOHC24V)を積んでいた。このエンジンは、第2回日本GPでの敗北を機に開発されたレーシングプロト、R380用GR8型がベースだ。

 GTーRは積極的にレースに参戦。S20型はすぐに真価を発揮する。翌1970年10月には、全長とホイールベースが短く、空気抵抗が少ない2ドアハードトップ(KPGC 10)が誕生。さらに強さは際立った。レースで勝つのは当たり前で、「負けるとニュースになる」といわれた。

 ボクは市販車はもちろん、レース用GTーRにも多く乗っている。3連装ツインチョークキャブが奏でる吸気音、高性能ストレート6の回転感、そしてエキサイティングな排気音に包まれるだけで、テンションは上がった。1速は低めだが、2速以上はクロースレシオの5速MTを操るのは快感だったし、旋回性能もよかった。

 日産ワークスチームのトレーニングにも、ときどき参加させてもらった。ツーリングカーベースのレーシングモデルならそこそこ操れたので、ワークスGTーRのステアリングも握らせてもらった。最高だった。

CA26J9BN_P20-1.jpg日産スカイラインHT2000GTーR(1972年式) 新車価格:5MT 154万円 1st・GTーRは1969年2月に3rdスカイライン(通称ハコスカ)のトップグレードとして誕生 開発テーマは「レースでの勝利」 1970年10月にボディ形状をHTに変更

CA26J9BN_P20-2.jpg全長×全幅×全高4330×1665×1370mm 車重1100kg HTはセダン比でホイールベースを70mm短縮 リアオーバーフェンダー標準

CA26J9BN_P20-3.jpgインパネは標準スカGと共通形状 装備はシンプル 写真のステアリングはスポーツop シートはバケット形状

CA26J9BN_P20-4.jpgS20型 1989cc直6DOHC24V 160ps/7000rpm 18.0kgm/5600rpm ツインチョークキャブレター3連装

SP0189_0064.jpg日産スカイラインHT2000GTーR(1973年式) 新車価格:5MT 163万円  2nd・GTーRは1973年1月デビュー 当時のオイルショックなどの影響で197台で生産終了 全長×全幅×全高4460×1695×1380mm S20型エンジン搭載

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